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zoom RSS 原爆マンガ「はだしのゲン」(No1663)

<<   作成日時 : 2013/08/07 16:05   >>

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  前号で原爆詩集「にんげんをかえせ」を取り上げたが、大人が25年前に小学校の図書館で夢中になって読んだという漫画が「はだしのゲン」だ。中沢啓治の「はだしのゲン」は、20カ国語に翻訳され、世界中で、原爆を落とした米英でも読まれている。単行本や文庫本が1000万部を超え、2007年、ウィーンで開かれた核拡散防止の会合では、日本政府代表団から英語版が加盟国へ配布された。

  作者の中沢啓治は原爆が広島に投下されたとき、広島市立神崎国民学校(現神崎小学校)の1年生だった。登校途中、友達の母親に呼び止められて建物の塀の影に入ったので原爆の熱線を浴びずに奇跡的に助かったが、父、姉、弟を失った。これは「はだしのゲン」の描くエピソードと同じだ。父親は日本画家だった。

  終戦後、手塚治虫のマンガ本を読んで漫画家を志した。昭和36年に上京、38年に漫画家デビューしたと言われている。当時は、周囲に原爆被爆者を差別する視線があり、自分が被爆者であることを語らず、少年向けマンガ雑誌に原爆とは無縁の絵を描いていたが、41年に母親が死んで広島に戻り、火葬した母親の遺骨が原爆の放射能ですべて灰となり、遺骨が一かけらも残らなかったショックで目覚めた。初めて原爆を題材としたマンガ「黒い雨にうたれて」を描いた。

  当時は原爆モノを扱う出版社がなく、2年たってやっとマンガ雑誌に掲載されたが、次第に好評となり、「黒い川の流れに」「黒い沈黙の果に」「黒い鳩の群れに」と続編するうち、「はだしのゲン」は33歳のとき描いた自伝マンガ「おれは見た」を編集者の勧めで始めた長期連載だった。
  広島の原爆で父と姉、弟を失った少年、中岡元がたくましく生きる姿を描いているが、主人公のゲンの姉と妹の名前に中沢の実在の姉、妹の名前を使うなど自伝的な要素が強いとされる。

  それまでマンガは低俗なものとされていたが、ノーベル賞作家の大江健三郎の激賞により、「良書」として紹介され、高い評価を受け、マンガ雑誌の読者層である少年のみならず大人の間でも読まれてベストセラーになった。
  その後、日本共産党系列の論壇詩「文化評論」が連載し、核の全面的禁止を訴える同誌の宣伝として使われた。日教組の機関誌「教育評論」が連載したので、マンガ持ち込みを厳禁する学校で「はだしのゲン」だけは校内で堂々と読める唯一のマンガとなった。

  2000年代に入り、持病の糖尿病により、網膜症や白内障が悪化、視力が低下して、細かいコマが描けなくなった。中沢は助手を使わず、自分一人で描くのをポリシーとしていたため、2009年、続編の執筆断念を発表した。
  2010年肺がんで生死をさまよったのをきっかけに、2011年、それまで一度も出なかった広島平和式典に初めて出席した。その前日、プロ野球の試合で始球式を務めたが、「平和だからできた」と語った。
  翌2012年12月、肺がんのため広島市民病院で死去した。73歳だった。同業の漫画家と交際がなかったが、「あいつは原爆漫画家だ」という意識で自分の顔を見られるのが嫌だからと語っていた。


  昭和天皇の戦争責任を追及して終生、昭和天皇を嫌っていた。原爆を投下したアメリカに激しい怒りを抱いていたが、アメリカ文化、とくにディズニー映画には敬意を払っていた。オバマ大統領とその子女に「はだしのゲン」の英語版を寄贈した。
  日本が植民地支配した朝鮮への贖罪意識があった。「はだしのゲン」の朝鮮語版を北朝鮮に持ち込みたいと語っていた。日本が侵略した中国に対しても「申し訳ない気持ちでいっぱいです」と述べている。
  

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