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zoom RSS 戦後70年を考える「東京投下を予定した原爆3号の話」など(No1936)

<<   作成日時 : 2015/08/21 11:29   >>

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  70年前に広島、長崎にアメリカが投下した原爆については、日本を降伏させるためにはやむを得なかったという意見と、全く必要なかったという意見の対立がある。また広島、長崎の他に、東京投下を予定した「原爆3号」があったという原爆秘話もある。
  
  原爆投下を命じたトルーマン大統領の2代前のフーバー元大統領が著した回想録によると、日本は原爆投下の6カ月前から重光外相が東京駐在のスウェーデン公使に和平の仲介を依頼していた。投下の2週間前には日本が不可侵条約を結んでいたソ連に対して、和平の意思を明らかにしており、その外交電文をトルーマン大統領と当時のバーンズ国務長官もスティーム陸軍長官も傍受解読して、承知していたから、原爆が投下されたから日本は降伏したということは全く当たっていなかったというのである。フーバー氏は「トルーマン大統領が人道に反して原爆投下を命じたことは、アメリカの政治家の質を疑わせるものであり、アメリカの歴史上、未曽有の残虐行為だった。アメリカ国民の良心を永遠に責めるものである」と書いている。

  だが、25年前に、元外交官の加瀬英明氏が、アメリカで講演し、「原爆が投下されなくとも日本は降伏した。原爆投下は国際法違反だ」と話すと、聴衆の8割が廊下の出て抗議のために愛国歌を合唱したそうだ。米国内では、今でも、こういう考えが根強くあるそうだ。

  原爆の話では、広島、長崎に投下された2発の他に、東京に投下を予定した「原爆3号」があったという原爆秘話を元ジャーナリストの本多一基君が知らせてくれた。
  原爆は米巡洋艦インディアナポリスが米国本土からマリアナ諸島のテニアン島に運び、広島と長崎に投下された2個を陸揚げした後、レイテ島に向かう途中の海上で日本の潜水艦に撃沈されたが、この艦と共に沈んだのが東京へ投下予定の「3個目の原爆」だったというのだ。
  終戦後の昭和20年12月、原爆を積んだ巡洋艦を撃沈した日本の「伊号58潜水艦」艦長の橋本以行中佐がワシントンの軍事裁判に呼ばれて事情を聴かれている。橋本氏によると、終戦前の7月30日午前1時ごろ、グァム島〜レイテ島間でアメリカの大型艦を発見し、魚雷を発射した中の3発命中して沈没したが、原爆を積んでいるとは知らなかった。インディアナポリスの艦長は厳しく責任を追及され、自殺したそうだ。昭和26年8月の「サンデー毎日」に橋本氏の手記が掲載されたそうだ。
  本多君は終戦の時、旧制中学2年だったが、母親から「広島と長崎へピカッと光る光線で人間が死んでしまう爆弾が落ちたそうよ」という話を聞いたが、それが原爆とは知らなかった。

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