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zoom RSS 朝日新聞をだました吉田清治という男(No1841)

<<   作成日時 : 2014/08/09 17:21   >>

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◆吉田とはどんな男か◆
  朝日新聞の「慰安婦誤報」事件は検証などで当分後を引きそうだ。従軍慰安婦について吉田清治の「ウソ」の証言が、慰安婦問題を調査した国連や米国議会で証拠として用いられていることがわかった。それにしても、天下の朝日新聞をだまし誤報記事を書かした吉田清治とはどんな男か。朝日新聞の8月5日付朝刊は「日雇い労働者らを統制する山口県労務報国会下関支部の動員部長をしていた」と紹介するだけだが、フリー百科事典「ウィキぺディア」が吉田清治について詳しい資料を集めている。
◆下関市議選に落選◆
  それによると、吉田は1913年10月15日出生、2000年7月死亡。福岡県出身の作家。清治はペンネームで本名は吉田雄兎。門司市立商業学校の卒業生名簿に「吉田雄兎」の名前がある。朝日新聞の報じる法政大学卒業は在籍記録がない。
  吉田は戦前、中華航空上海支店に勤務したというが、社員会で彼を記憶する者はいない。アヘン密輸で「軍事物資横領罪」により懲役2年の受刑を告白している。朝日新聞の報じた、山口県労務報国会下関支部に在席したことは、複数名が吉田の勤務を記憶している。終戦後初めて行われた1947年の地方選挙で下関市会議員選挙に日本共産党から立候補し129票を獲得したが落選した。
◆「慰安婦狩り」を出版、講演活動◆
  吉田は1983年に三一書房から「私の戦争犯罪」を出版した。「1943年5月15日付け西部軍動員命令によって1943年5月17日に下関港を出発し、翌日済州島に着いて、兵士10人の応援で205人の婦女子を慰安婦要員として強制連行した」と告白していることが、「吉田証言」とされた。その前に1977年に「朝鮮人慰安婦と日本人、元下関労報動員部長の手記」を新人物往来社から出版して「慰安婦狩り」を告白。1982年には在樺コリアン樺太残留者帰還請求訴訟でも「慰安婦狩り」を証言。1983年12月に天安市に慰安婦に対する謝罪碑を建てるとして頻繁に訪韓、講演活動をしている。
◆朝日新聞がキャンペン、他社も報道◆
  朝日新聞が慰安婦キャンペンで吉田をバックアップした。朝日新聞が「誤報」として取り消した1982年9月2日付の吉田の講演を報道した記事が第一回で、1983年11月10日の「ひと」欄で吉田の謝罪活動を紹介。1991年5月22日に「木剣をふるい無理やり動員」。同年10月10日に「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供を引き離して連行」。1992年1月23日に「連行した朝鮮人女性は950人」。同年5月24日に「男女6000人を強制連行」などと吉田を計16回取り上げたことを認めている。1997年3月31日に特集で、吉田証言の「真偽は確認できない」と報道したのを最後に吉田を取り上げなくなったが、同時に吉田が「ウソ」を言っていたことも、朝日新聞がだまされていたことも闇に葬ろうとした。
  他のマスコミも吉田証言を報道している。赤旗が1992年1月26日に「連行した女性は1000人以上」、同年11月14日に「最低950人、多くて3000人の朝鮮人女性を強制連行」。毎日新聞が1992年8月12日、「1000人を徴用」。読売新聞が1992年8月15日に「100人の朝鮮人を海南島へ連行」。北海道新聞が1991年11月22日に「アフリカの黒人奴隷狩りと同様に朝鮮人女性を狩り立てた」などと報道した。吉田の証言が報道によりエスカレートしている様子が伺える。
◆韓国地元紙が反証、秦氏に菊池寛賞◆
  1989年に吉田の著書「私の戦争犯罪」が韓国で翻訳されると、1989年8月14日、済州島の現地新聞の「済州新聞」が、済州島の85歳の女性の話を聞き、「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば一大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」として、済州島の「慰安婦狩り」は事実無根であり、吉田の主張は虚偽であると報じた。
  この批判記事を現地の図書館で発見した日本現代史の専門家の秦郁彦氏が1992年3月に済州島の現地調査をしたが、「男子の徴用はあったが慰安婦はなかった」という証言を得た。秦氏の調査は1992年4月30日付の産経新聞朝刊が発表して吉田証言に疑問を投げかけた。この一石から「吉田証言」批判が始まった。秦氏の調査は雑誌「正論」6月号に論文として発表され、1993年3月号の文芸春秋に「昭和史の謎を追う」として掲載され、菊池寛賞を受賞した。
◆宮沢首相は日韓会談で8回謝罪◆
  この頃韓国では、1991年8月に元慰安婦が名乗り出た。韓国のMBC放送が、朝鮮人女性が慰安婦として日本軍に連行されたドラマ「黎明の瞳」を1991年10月7日から1992年2月6日にかけて放映し、最高視聴率58,4%を記録、反日感情を煽った。吉田は韓国やアメリカで講演を行い、アメリカでも1992年8月8日にニューヨークタイムスは「吉田は2000人の朝鮮人女性の狩りをした」と報道した。
  慰安婦問題は日韓外交に発展した。窮地に立たされた宮沢内閣を朝日新聞は社説で「歴史から目を背けまい」と煽った。渡辺美智雄外相は民放テレビで「何らかの関与があったと認めざるをえない」と発言。加藤紘一官房長官は「お詫びと反省」の談話を発表。92年1月に訪韓した宮沢首相は日韓首脳会談で8回も謝罪し、真相究明を約束したと言われている。93年8月河野談話、94年8月村山談話、95年7月アジア女性基金創設へと進む。「ウソ」の「吉田証言」が政治と外交を動かしたのである。
◆吉田が「創作」を認める◆
  吉田は自著が虚偽と指摘された後も、韓国内で講演行脚を続けていたが、自作の著書が創作であることを認めることになった。1996年5月2・9日付週刊新潮のインタビューで、「本に真実を書いても何の利益もない。迷惑をかけてまずいからカアムフラージュした部分もある。事実を隠して自分の主張を混ぜて書くのは新聞だってやっていることじゃありませんか」と述べて、自作の著書が創作であることを認めた。1998年9月2日に秦氏が吉田に電話で「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたが、吉田は「人権屋に利用された私が悪かった」とは言ったが、「私にもプライドはある。85歳にもなって今更、このままにしておきましょう」という返事だった。
◆生き残る「吉田証言」◆
  しかし「吉田証言」の幽霊が現れた。慰安婦を調査した1996年の国連クマラスワミ報告は「吉田証言」を証拠として採用した。2006年の米国下院の慰安婦の対日非難決議案でも「吉田証言」が有力証拠と明記された。韓国最大の朝鮮日報は2012年9月5日の紙面で吉田の手記を取り上げ、「この一冊の本だけでも慰安婦強制連行が立証される」と主張した。 
  このほか、吉田証言を真実として掲載している著作、例えば、家永三郎氏の「戦争責任」(岩波書店1980年)、日弁連国際人権部報告「日本の戦後処理を問う」(1992年)など多数ある。
◆今後への影響は◆  
  「吉田証言」の「ウソ」が明らかになったため、「河野談話」や「村山談話」が見直されるのか。日韓外交関係の影響は避けられないなど観測がある。問題は従軍慰安婦問題があったのかなかったのか、ということだ。朝日新聞が「戦時中、日本兵士による性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできません」と述べているのは真実ではないか。「吉田証言」が「ウソ」と疑われても、国連や米議会で採用されていることは、慰安婦問題が潜在していると疑われているからだ。
  慰安婦問題で過去に失速した維新の会の橋下代表やマスコミに恨みがある政治家どもが騒いでいるが、問題を朝日新聞に矮小化せず、慰安婦問題の本質をを考える必要がある。国会と都議会のセクハラ問題は本質は「慰安婦問題」と変わらないから、日本より先に米国のメディアが取り上げた。「吉田証言」の「ウソ」で日本が無罪放免になると考えたら大間違いだ。

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